新しい社会主義の下では、GULAGは存在しない
ボリス・カガルリツキーの記事
18+ НАСТОЯЩИЙ МАТЕРИАЛ (ИНФОРМАЦИЯ) ПРОИЗВЕДËН, РАСПРОСТРАНËН И (ИЛИ) НАПРАВЛЕН ИНОСТРАННЫМ АГЕНТОМ КАГАРЛИЦКИМ БОРИСОМ ЮЛЬЕВИЧЕМ ЛИБО КАСАЕТСЯ ДЕЯТЕЛЬНОСТИ ИНОСТРАННОГО АГЕНТА КАГАРЛИЦКОГО БОРИСА ЮЛЬЕВИЧА.
18歳以上対象。本資料(情報)は、(または)外国代理人であるボリス・ユリエヴィチ・カガリツキーによって制作、配布、送信などされているもの、あるいは外国代理人であるボリス・ユリエヴィチ・カガリツキーの活動に関するものである1現在ロシアの法律上の言及。。
社会主義を築くには、二つの要素が必要。人々の恐怖を配慮することと、収用である。
ボリス・カガリツキーはトルジョク市の第4矯正コロニー(刑務所の一種類)に収監されている。皆さんのために記事を書いてくださった。提案する新しい社会主義とはどのようなものか、ぜひ読んでほしい(これはユートピアではない)。
私たちにとって社会主義は「ユートピア」ではなく「展望」である。だからこそ、議論すべきは未来像ではなく、資本主義の問題を解決するために私たちが拠り所とする原則である。
その基本原則は二つ:
● 権力と所有権の再分配;
● 政治的民主主義から、経済政策の策定への人々の参加へ。
ボリス・カガルリツキー(1958年生まれ)は、ロシア出身の社会学教授、マルクス主義者である。
ボリス氏は若いころからマルクス主義者となり、1977年から左派の立場からソ連指導部を批判するいくつかのマルクス主義者グループの活動に参加した。1982年に逮捕され、「反ソ連扇動」の罪で1年間獄中に過ごした。
ソ連崩壊後、ボリス・カガリツキー氏はまたロシア政権を左派の立場から批判し続けた。2022年2月、プーチン政権が「特別軍事作戦」と名付けたウクライナ戦争に反対を表明した。
2022年5月、ロシア法務省はボリス・カガリツキー氏を「外国代理人」(政治的活動に外国から資金を受け取る人)という資格を与えた。2023年7月、ボリス氏は逮捕され、まもなくテロリストおよび過激派活動家のリストに追加された。裁判を経て、2024年2月、禁固5年の判決を受けた。現在、カガルリツキー教授は矯正コロニーに収監されている。「スピチカ」の編集スタッフの私たちはボリス氏とずっと文通を続けている。
現在、カガルリツキー教授が主に取り組んでいるテーマは、新自由主義的資本主義と左翼運動の危機、その解決しかたである。彼の著書のほとんどは英訳されていおり、最近の著作は以下となる:
- 『階級と言説の間。資本主義を守る左翼知識人』 — 英訳:『Between Class and Discourse: LeftIntellectuals in Defence of Capitalism』 ;
- 『長い後退』 — 英訳:『The Long Retreat: Strategies to Reverse the Decline of the Left』。
日本語版は、彼の著書をご覧いただけます:
・『モスクワ人民戦線―下からのペレストロイカ』柘植書房新社 1989
翻訳:佐久間 邦夫
・『迷走する復古ロシア』現代企画室 1996
/spichka の序文
なぜ皆さんはカガルリツキー氏のこの手紙を読むべきなのか
あなたはきっと、自分とは異なる見解を持つ人々、あるいは明確な思想的立場を持たない人々と交流することがあるでしょう。相手に、経済が行き詰まっていること、世界的な少子化が新自由主義政策の結果であることを語っているはずです。そして、聞き手は賛同してうなずく。しかし、ある時点ではこう問いかけるでしょう:
「じゃあ、あなたは何を提案するんだ?」
その質問は的を射ているが、答えに窮してしまう。あなたならどう答えるだろうか?
2022年までは、時代錯誤のような感覚があり、マルクス主義者たちは「スターリンかトロツキーか」というような論争に夢中になっていた。しかし、2022年は我々に現実を突きつけました。本を読んだり、亡くなった指導者たちについて議論したりするのに、あと何十年も費やしている余裕はないことが明らかになったのです。もはや、他のマルクス主義者たちだけでなく、より多くの人々に自らの見解を伝えることを学ぶべき時です。前向きなプログラムがなければ、互いに説得し合うことしかできないのだからです。
前向きなプログラムがなければ、私たちはマルクス主義者同士しか扇動することができない。
もちろん、2022年以前にも、ボリス・カガルリツキーやアンドレイ・コルガーノフなど、社会主義プロジェクトについて論じた思想家がいました。しかし、こうした議論はマルクス主義者の間で十分な反響を呼ぶことはなかったのです。なぜなら、皆が慣れていた「なぜスターリンがトロツキーより優れているのか」のようなありふれた議論内容と違ったからです。
アレクセイ・サフローノフは、社会主義を「プロジェクト」として理解する手助けとなる研究を行っている人物の一人です。2025年、『大ソビエト経済』という著書を出版しました2サフローノフ・A・V. 『大ソビエト経済・1917–1991』。モスクワ:インディヴィデュウム出版社、2025 。そこでは結論として、「では、次はどうするのか?」という問いを投げかけました。同年末、サフローノフ氏はユーチューブ・チャンネル「Простые числа」(簡単な数字)で民主的計画に関する「直接経済民主主義:技術は整っており、あとは人々次第だ!」という動画も制作した。
どのような社会主義を、どのように築いていくのかについて、共通の認識を持つべき時が来た。
我々は議論が必要だ。
今こそ、マルクス主義者たちが自らの立場を明確にし、東欧における議論のレベルを示す時が来ました。
マルクス主義者たちの間で議論を始めるため、我々はボリス・カガリツキー教授に、社会主義のイメージについての所見を執筆するよう依頼し、快諾の返信が来ました。
「郵便局や検閲の「負担」にならないよう、文章を3~4ページずつ分けて送るつもりです。経験上、短いメッセージの方が早く届くし、私にとってもその方が楽だからです」(2025年10月5日の手紙より)。
カガリツキー教授は数か月にわたって獄中からその原稿を私たちに送っていました。その後、文章について話し合い、それぞれの表現について確認したりし、いつもの編集作業をしましたが、ロシアの囚人との手紙やり取りネットサービス「FSIN・ピシモー」を経由したため、作業はそう簡単には進みませんでした。やり取りの中で、カガリツキー氏は後書きも追加することに決めました。
「皆さんのご意見を拝読し、本書にあとがきを追加し、そこで皆さんから寄せられたご質問にお答えすることにしました」(2025年12月15日の手紙より)。
私たちは、この文章が議論のきっかけとなるにふさわしいものだと考えています。さまざまなコミュニティーがこの議論に参加してくれることを願っています。
カガルリツキー氏のこの手紙には何が書かれているのか?
カガルリツキー教授は、社会主義という展望について長文を執筆しました。正確に言えば、その文章は社会主義下で皆がどれほど幸せになるかということではなく、社会変革の第一歩について論じています。
カガルリツキー氏の計画には、社会主義がどのように構築されるべきかについて書くことは含まれていなく、それは出発点となる条件次第だからです。この件について読みたい場合は、当サイトの記事「過渡期の理論」とその続編を参照してください。そこでは、ソ連やその他の社会主義諸国を例に挙げ、そこに社会主義は存在したのかどうかについて考察しています。
カガリツキー教授は、社会を変えるためにどこから始めれば良いかを記しています。これらはあくまで第一歩に過ぎず、ここで立ち止まってはならないのです。
先に言っておきますが、カガリツキー氏の理想が「混合経済と民主的制度の融合」であると考えるのは間違えです。
カガリツキー氏が本文で述べたすべての側面について、現時点では私たちの立場を表明する用意はまだ出来ていません。社会主義という「プロジェクト」に関する私たちの詳細な見解については、後日、別の記事でまとめる予定です。
しかし、社会を変革するための基盤となる原則体系を確立すべきだというボリス・カガリツキー氏の意見には、私たちは全面的に同意します。
私たちに必要なのは、社会主義下での美しい生活についての物語ではなく、社会変革の原則です。
『共産党宣言』において、マルクスとエンゲルスは10点の措置を記述します。「これらは経済的には不十分かつ非現実的に見えるが、運動の過程においてそれ自体を超越し、生産様式全体の転覆をもたらす手段として不可避となる」、すなわちこれらの措置は「それ自体を超越し、旧来の社会体制に対するさらなる攻撃を必然のものとする」3/spichka: K.マルクス、F.エンゲルス全集。— 第2版、全50巻。— モスクワ:国家政治文学出版社、1955年。— 第4巻。— 447ページ。
この引用は、エンゲルスが校閲した1888年の英訳版からのものです。
エンゲルスは『共産主義の原理』において、同様の論理を展開している:「これらすべての措置を、もちろん一挙に実行することはできないが、その一つが他を引き起こすことになる。私有財産に対する最初の抜本的な攻撃さえ行われれば、プロレタリアートはさらに先へと進まざるを得なくなり、すべての資本、すべての農業、すべての工業、すべての交通、そしてすべての交換を国家の手にますます集中させることになるだろう。以上挙げたすべての措置は、この結果へと導くものである」( K.マルクス、F.エンゲルス全集。— 第2版、全50巻。— 第4巻。— 333ページ)。 。
私たちも同様に考えるべきです。「マルクス、エンゲルス、そして過渡的プログラム」という記事では、彼らがなぜそれぞれの項目を記したのかという論理、そしてその基礎の上に私たちがいかに自らの前向きのプログラムを策定すべきかについて、すでに説明しました。
さて、核心となる問いは「では、あなたは何を提案するのか?」ということです。
トルジョク市第4矯正コロニーから、カガリツキー教授に発言していただきます。
社会主義:ユートピアではなく展望
イメージ、それともプロジェクト?
私が空想楼閣を嫌いになった理由
「未来像」という問題については、政治家や社会評論家たちが、左翼に限らず様々な党派に属する自分の味方、同志、そして反論者に病的な執念をもって問いかけている。2000年代の初め、ある公式イベントに出席したのを覚えている。そこでは、多額の費用をかけて作成された、2020年までのロシアの将来に関する報告書が発表された。2020年の現実は、当時のプレゼンテーションとはまったく異なるものになったことは、容易に想像できる。
こうした報告書の執筆者たちの主な過ちは、通常、彼らが書いた内容そのものではなく、文書作成からその実現までの期間を短すぎて設定したことにある。もし彼らが予測の視野を2050年、あるいはさらに良いのは2100年まで広げていたら、このような失態は起こらなかっただろう。その日付が来る頃には、報告書の内容やその存在自体を覚えている人は誰も生きていないだろう。

近世初期のユートピアの著者たちは、はるかに先見の明があった。彼らは、想像上の理想的な社会を、どこか遠くの非現実的な島、あるいは月などに置いたのだ 4/spichka: 例えば、トマス・モアやシラノ・ド・ベルジュラックはそうした。
トマス・モアは1516年に『ユートピア』を出版した。その完全なタイトルは「国家の最適な体制と新しい島ユートピアについて、有益であると同時に面白い小さな本」である。
1657年、フランスの作家シラノ・ド・ベルジュラックは、ユートピア小説『異世界、あるいは月の諸国家と諸帝国』を出版した。そこでは、月の住民の生活様式を描写したことを通じて地球上の社会を批判した。 。ここから、トマス・モアが考案した「ユートピア」という言葉が生まれた5/spichka:トマス・モアは「ユートピア」という言葉を最初に使用した人物である。ギリシャ語では「存在しない場所」または「良い場所」を意味する。この言葉には、そもそもこの理想的な場所は存在せず、模範となるべきものであるという二重の意味が込められている。モアの著書の人気により、この言葉はさまざまな言語で使用されるようになった。。つまり、存在しない場所である。それに、今後も存在することはないだろうと言い足したい。
ユートピアを描くことではなく、未来について考えること。
では、上記の話は、未来について考える必要はまったくないという意味なのか?もちろん、そうではない。何年も、時には何十年も先を見据えて行動を計画し、未来のために行動する能力こそが、人類文明の存在にとって根本的なものである。しかし、問題は、私たちがどのように考え、どのような目標を設定するかである。
あなたたちの代替案は?
左派に対して絶えず投げかけられる非難:「あなたは現代資本主義を非常に説得力を持って批判していますが、あなたの代替案は?」この質問には完全に根拠がある。しかし、我々の同志たちが主に提案しようとする答えは、そもそも方法論的に誤っている。代替案は、非資本主義の楽園での美しい生活を描写したものではなく、現在の問題に対する具体的で相互関連した解決策のリストでなければならない。
代替案とは、社会主義下での美しい生活を描いたものではなく、資本主義の問題をどのように解決すべきかという我々の提案のことである。
これは、2つの理由から特に重要である。
第一に、実際の未来は、まさに今ここで実践的な変革を行った結果として形成され始める。例えば、普遍的な自由の勝利のために、一時的に厳しい検閲を導入すると決めた場合、その結果は私たちが約束したものとは大きく異なるものになるだろう。
第二に、「今」と「その後」の間に厳密かつ直接的な関連性がない場合、美しく新しい生活への夢は、現在の瞬間において、まったく一貫性のない日和見主義者として振る舞うことに妨害にならない。なぜなら、それは、美しい夢にはある原則、「罪深い」現実には別の原則が適用されるという我々の信念に矛盾しないからである。
だからこそ、マルクスとエンゲルスがユートピア的思考を批判したのは正しかったのだ 6/spichka:「平壌への航路に沿って進め!」という記事で、私たちは「社会主義の課題は何か?」について論じた。そこでは、社会主義とその課題を定義するユートピア的アプローチを批判した。
社会主義が必要なのは、それが「正義の社会」だからでもなく、「プロンビール」(ソ連時代に人気のあったアイスクリーム)を5コペイカ(ロシアの小銭)で買えたり、露店で綿菓子を買えたりするからでもなく、資本主義の矛盾が限界に達し、社会が古い経済システムの枠組みの中で発展できなくなったからである。このことを、「航路を維持する」グループ(ロシアの左翼組織、ユーチューブチャンネル)のような現代のユートピストは理解していないようである。 。
私たちに必要なのは未来像ではなく、既存の問題の解決策を形成するための一連の原則である。
だからこそ、まずは既存の社会経済秩序を批判することから始め、主要な矛盾や問題点を明らかにし、それらを克服することで、事実上、新しい社会を構築していく必要がある。そして何よりも重要なのは、資本主義の枠組みの中で今日提案されている解決策が、なぜ機能しないのか、あるいは期待どおりに機能しないのかを理解することである。
現在、私たちは単なる一連の危機ではなく、経済システム全体の危機に直面している。
現在、私たちは単なる一連の危機ではなく、最も重要なことに、相互に関連し合い、総合的には体系的な性質を持つ一連の危機を目の当たりにしている。増大する問題に対処するために実施された数多くの穏健な改革イニシアチブは、事態をさらに複雑にし、混乱させるだけである。
環境危機も、金融混乱も、社会的不均衡の拡大も(これは単純化して不平等問題として捉えられている)、軍事紛争の恐ろしい増大も、誰も否定しない。しかし、これらすべてが相互に関連しており、その解決策は経済と社会の包括的な変革によってしか出来ないことを見出せると認識するのが極めて重要です7/spichka:「マルクス、エンゲルス、そして過渡的プログラム」という記事では、古典派が社会の変革プログラムをどのように捉えていたかを示しました。ご存じのように、『共産主義宣言』では、わずか10項目しか挙げられていないのだが、そのいずれもが過激な内容ではないものの、それらを総合すると、社会主義の原則に基づく社会変革につながるものである。 。
ここから、最初の2つの結論を出すことが出来る:
● 権力と所有権の問題に関わる構造的な変化が必要だ。
● 民主的な計画立案の制度を構築する必要がある。
民主的な計画立案の機関こそが、大多数の利害だけでなく、人類の発展のために、経済構造を協調し、そして目的を意識して変革・形成することを可能にするのである。
民主的な計画策定により、人類の発展に資する経済を築くことができる。
最後の留保事項は非常に重要である。なぜなら、人々の短期的な利害は、しばしば将来の見通しと矛盾するからである。これは、環境災害の例だけでなく、市場サイクルの例でも見られます。市場サイクルでは、株価の急騰が経済の崩壊を必然的に招くのである。しかし、ここで私たちは、実践によってのみ解決できる大きな問題に直面する。それは、大衆の民主的な自由を犠牲にせず、原則的に正しく、客観的に機の熟した政策にも反対する権利を否定せず、大衆の現在の狭義の利害の枠を超えていくにはどうすればよいか、という問題である。ある意味で、これは社会主義の根本的な矛盾と言えるだろう。
経済的民主主義
かつてオタ・シックは、古典的な著書『社会主義における計画と市場』の中で、8/spichka:オタ・シック(1919–2004)は、チェコスロバキアの経済学者、政治家。
1939年、ナチス・ドイツがチェコスロバキアを占領した後、オタ・シックはレジスタンスに参加し、1940年にはチェコスロバキア共産党に入党した。1941年、ゲシュタポに逮捕され、強制収容所に送られた。そこで彼は、後のチェコスロバキア共産党書記長となるアントニン・ノヴォトニーと共に収監された。
1961年より、オタ・シックはチェコスロバキア科学アカデミー経済研究所の所長を務めた。1962年からはチェコスロバキア共産党中央委員会の委員となった。1968年にはチェコスロバキア社会主義共和国首相に就任した。同年、彼の政治的キャリアは終焉を迎えた。
オタ・シックは1968年にチェコスロバキアで著書『社会主義における計画と市場』を出版し、「プラハの春」の経済的イデオローグとなった。
1968年、ワルシャワ条約機構の軍隊がプラハに侵攻した際、オタ・シックはユーゴスラビアで休暇中だった。逮捕を恐れてスイスへ逃れ、そこで生涯を終えるまで滞在した。現地では著書を執筆し、大学で教鞭を執った。
オタ・シックは「第三の道」の支持者であった。実際、彼は『第三の道:マルクス・レーニン主義理論と現代産業社会』(1972年)というタイトルの著書さえ持っている。最初の二つの道とは資本主義と「ソ連式社会主義」であり、三つ目は民主的市場社会主義であるということ。 私有財産の廃止は、個人や集団の利害の相違が消滅するわけにはいかないと述べた。
資本主義市場は、これらの相違を調整することを可能にするが、それは社会的最適ではなく、権力、収入、所有権といった力のバランスによって行われる。そのため、鋭い矛盾(社会的・階級的なものに限らず)に悩んでいる現代社会は、別のメカニズムを緊急に必要としている。そして最悪なのは、古典的な市場メカニズムが、いずれにせよもはや機能していないことである。それは、リバータリアンが考えるように、その「正常な」機能を無責任の「左翼」や貪欲な企業経営者が妨げているからではなく、資本の集中と市場研究の高コストが、自由で平等な市場競争をユートピア的なものにしているからである。
自由競争はもはや存在しない。社会における様々なグループの利害を調整するための新しいメカニズムが必要だ。
マレーシアの経済学者マーティン・コーは、9/spichka:マーティン・コー(1951年~2020年)は、マレーシア出身の経済学者、ジャーナリスト。彼はグローバル化と「グローバル・サウス」と「グローバル・ノース」の対立について執筆した。マーティン・ホールは、ヨーロッパとアメリカが発展途上国であるサウスをいかに依存状態に置いているかを、自身の著作で明らかにした。
2020年、「ラブコル」はマーティン・ホールの追悼記事を掲載した。そこでは彼の活動について詳しく述べられている。マーティン・ホール:グローバル活動家としての成長 // ラブコル。— 2020年4月17日。 — URL:https://rabkor.ru/columns/left/2020/04/17/martin_kho_becoming_a_global_activist/ アダム・スミスが述べた完全競争は、一つの市場で何百もの独立した生産者が、需要によって決まる価格だけを見て活動している場合に機能することを示した。生産者が数十社になると、このメカニズムは機能しなくなり、10社未満になると、生産者は消費者よりも互いを意識するようになり、互いに交流しなくても客観的にカルテルのような合意を形成するようになる。これは「コーの定理」または「寡占市場の法則」と呼ばれることもある。
もちろん、独占に対するリバータリアンの批判者は、コーポレーションの分割によってこの問題を解決するよう求めるだろうが、それは、経済の進歩をもたらす資本と技術の集中プロセスを逆転させ、科学技術研究への資源を削減することなどを意味する。これを補うことができるのは、科学開発や投資における国家の役割の強化だけであるが、これもリバータリアンやリベラル派には断固として受け入れられない。
現在の状況から抜け出す道はただ一つ:最大企業の社会化に基づく経済的民主主義である。
こうした課題に対する現実的な解決策は、大企業の社会化、情報の公開、さまざまな経済主体の取り組みの統合に基づく経済民主主義の仕組みを作ることにある。これは決して市場を廃止することを意味するものではなく、ジョン・ケインズが指摘したように、社会に対して責任を持つ民主的な代表機関の管理下での投資の社会化を必要とするものである。この課題の解決は実践的なものにしかありえない。対立や意見の相違は避けられないが、だからこそ、矛盾を動的に解決するメカニズムとしての民主主義が極めて重要となる。この民主主義は議会制の特徴を保つだろうか?おそらく、部分的にだけだろう。既存の議会手続きは、意思決定プロセスへの利害関係者の参加という新しい形で補完されるべきである。その一例としては、ブラジルのポルト・アレグレにおける「参加型予算」による都市計画への市民参加が挙げられる 10/spichka:ポルト・アレグレはブラジルの都市、同国の一州の州都である。
1989年、この都市では「参加型予算編成」と呼ばれる実験が実施された。これは「市民的」あるいは「参加型」とも呼ばれる。これは、住民が予算編成に関与する直接民主主義の一形態である。
ポルト・アレグレでは、市民代表による評議会が結成され、現在も活動を続けている。評議会のメンバーからイニシアチ・ブグループが結成され、都市改善のためのプロジェクトを提案する。市民評議会はこれらのプロジェクトについて決定を下ろす。
この実験は成功し、現在ポルト・アレグレは、公共サービスの提供において南米で最も優れた都市のひとつとみとめられている。 。
直接民主制の事例は既に存在している。その一つは、ブラジルのポルト・アレグレ。
いずれにせよ、多層的な調整メカニズムを構築する必要性が生じるが、従来の政治的機関、すなわち政党、労働組合、社会団体などを廃止することはない。別の問題として、しばらくすると、経済、社会、環境の調整システムに組み込まれた業界団体や地方自治体が、議会よりも重要になる可能性がある。
このようなシステムは複雑すぎるものになるのではないでしょうか?この質問に答えることができるのは実践のみですが、現時点では、それがソ連の行政計画システムや、今日の先進資本主義国家の経済に典型的である市場・企業・官僚の協調システムよりも複雑ではないと考える根拠がある。
所有財産の社会化の程度は、状況によって大きく異なることがあるだろう。
資本の集中度、グローバルな統合、既存の民主主義の発展レベル、そして何よりも政治勢力と階級勢力のバランスが社会によって異なることを考えると、社会化の規模、形態、深さは、具体的な活動現場の状況によって大きく異なることが予想される。だからこそ、これから先は、ロシアの状況に適用できることについて話していくつもりだ。しかし、世界全体に適用できるいくつかの一般的な傾向も予測できる。
基本原則
● 科学研究と生産を社会化し、オンラインプラットフォームも社会化する。
● 公共部門だけでなく、民間イニシアチブとの協力も発展させる。
● 社会化された財産の恵みを共同で享受する。
まず、現在大企業に属している科学研究と生産の社会化、そして経済活動の大部分が行われているネット・プラットフォームの社会化とのことである。これについてニック・スルニチェク11/spichka:ニック・スルニチェクはカナダの政治学者。2016年に著書『プラットフォーム資本主義(Platform Capitalism)』を出版し、1970年代以降の資本主義の発展傾向について考察した。経済の重要な一部となったオンラインプラットフォームに焦点を当てている。 とヤニス・ヴァルファキスが 12/spichka:ヤニス・ヴァルファキスはギリシャの左派経済学者。新自由主義の時代における資本主義の変化と、2008年に始まった大不況について研究している。このテーマについて最新著書『テクノ封建主義』を書いた。ボリス・カガルリツキーによる書評は、「スピチカ」のウェブサイトで読むことができる:「テクノ封建主義。囚人の書評」。
18+ НАСТОЯЩИЙ МАТЕРИАЛ (ИНФОРМАЦИЯ) ПРОИЗВЕДËН, РАСПРОСТРАНËН И (ИЛИ) НАПРАВЛЕН ИНОСТРАННЫМ АГЕНТОМ КАГАРЛИЦКИМ БОРИСОМ ЮЛЬЕВИЧЕМ ЛИБО КАСАЕТСЯ ДЕЯТЕЛЬНОСТИ ИНОСТРАННОГО АГЕНТА КАГАРЛИЦКОГО БОРИСА ЮЛЬЕВИЧА.
18歳以上対象。本資料(情報)は、(または)外国代理人であるボリス・ユリエヴィチ・カガリツキーによって制作、配布、送信などされているもの、あるいは外国代理人であるボリス・ユリエヴィチ・カガリツキーの活動に関するものである。 非常に説得力のある文章を書いている。
尚、社会化の形態は様々形をとることが出来る。ここでは、政治的、経済的、社会的状況に応じて、買収、資産の再分配、破産手続き、収用などが適用される可能性がある。第二に、ソビエト連邦のように、生産と交換のすべてを完全に国有化することではない 13/spichka:当初、ボルシェビキは企業を全面的に国有化する計画を持っておらず、それは1917年4月7日に発表されたレーニンの「4月テーゼ」からも明らかである。
10月革命後の最初の1年間に取られた政策は、事前に計画されたものではなかった。ボルシェビキは脅威に対応していたのである。1918年6月28日の「主要企業の国有化に関する法令」もそうだった。この法令が採択される少し前、7月1日までに国有化された企業は、ソ連側が支払う補償金の対象外となることでドイツ側と合意に達した。合意が成立すると、一夜で法令が作成され、公布された。これは、初めての大規模な国有化だった。詳しくは、アレクセイ・サフロノフのビデオ「10月革命後の最初の数ヶ月間のユーリー・ラーリン」、または講義「軍事共産主義と新経済政策」を参照。サフロノフ氏は、前日の著書『ソ連経済大辞典』でもこのことについて語っている。 。ソ連の東側陣営の同盟国でさえ、ある程度の民間企業の自由を認めており、そこでは民間企業が比較的順調に発展し、官僚的な計画経済の弱点を補っていた 14/spichka:アルテル(生産協同組合)は、ソビエト政権発足当初から1956年までソ連で活動していた。アルテルの活動は直接計画されていなかった。計画には、アルテルへの原材料供給のみが含まれていた。スターリン経済下では、アルテルは品揃えの多様性を生み出し、多種多様な商品の計画立案の難しさを補っていた。
1955年時点で、ソ連には12,667のアルテルが活動しており、180万人がそこで働いていた。産業協同組合には、2つの科学研究所、22の実験研究所、100の設計局が含まれていた。アルテルは33,444種類の商品を生産していた。
1955年、協同組合の工業総生産に占める割合は5.9%だったが、家具の40%、金属食器の70%、おもちゃのほぼ100%を生産していた。
1956年、ソ連共産党中央委員会とソ連閣僚会議は「産業協同組合の再編について」の決議を発表した。この決議により、協同組合は国営企業へと転換された。詳細については、アレクセイ・サフロノフの著書『ソ連経済の大辞典』または講義「フルシチョフ政権の10年間の始め。第2部」を参照のこと。 。 経済はいずれにせよ「混合型」となるが、何をどのように、またどの割合で混合するかは、まさに実践的な政策の問題である。
経済は「混合型」となるだろうが、その「混合」の割合はどうなるかというのは、実践的な政策上の課題である。
第三に、現代の状況における社会化された生産の発展は、集団的消費と切り離せない。多くのあらゆる消費者を統合したエネルギーネットワーク、公共交通機関、商品や情報を購入するための公共プラットフォームは、すべて今日すでに存在している。インターネットによって大きく普及したこの実践を基盤とし、これらすべてのシステムが緊密かつ効率的に連携する集団的インフラを統合・発展させる必要がある。インターネットは民間企業や個人消費とは非常に相性が良いが、今日のところ、大企業の市場とはあまり相容れない。
いくつかの一般的な原則を定めたところで、明らかに変革を必要としているロシアの経済と社会を変革するためのいくつかの対策を提案し、さらに前進を試みてみよう。
公共部門
どのような企業が公共部門であるべきか
マルクスが、生産の公共性と私的帰属性との矛盾について論じたとき、生産を社会の直接的な管理下で発展させる必要性について当然の結論を下した。この矛盾の解決は、私有財産制度への挑戦なしには不可能であることは明らかである。しかし、戦略的な発展課題を解決する公共セクターを構築するために、何ものも一切国有化する必要はないことはすでに明らかである。ある生産、産業、企業が、国や世界にとって共通の課題を解決する役割が大きいほど、その社会化の必要性は高まると考えるのが論理的である。
資本主義の根本的な矛盾を解決するには、私有財産制度に手を加えずに無理である。
ロシアの状況については、次の産業リストが頭に浮かび上がる:交通インフラ、防衛企業、戦略的な民間機械製造企業(主に輸送関連)、採掘産業、エネルギー産業、大手銀行、冶金業、林業、水産業。
注意深い読者は、ロシアではまさにこれらの分野でいわゆる国営企業が活動していることにすぐ気づくはず。しかし、実はこれらの企業は、ブルジョア的な意味でも「国営」ではないということである。これらは、国家が株の大きなシェアを持つ民間株式会社にしかならないのである。
ロシアの国営企業は、国家が資本参加している単なる株式会社に他ならないのである。
一方、マルクスは財産というのは関係性であると正しく強調していた。当局による株式取得は、財産関係や生産関係に何ら変化をもたらさない。しかし、この方法では、必ずしも良いとは限らない先例が生まれるほか、「何らかの理由で」主に特権的な寡頭ビジネスグループの利益のために、資源の再分配の機会も生じてしまう。
現代社会では、資源の再分配は主に市場以外の手法によって行われている。
先進的な現代経済では避けられない資源の再分配は、長い間主に非市場的な方法で行われてきたが、それは非常に複雑で、費用がかかり、汚職を伴うプロセスであることとなる。私有財産と私的利害に基づくシステムでは、そうならざるを得ない。20世紀末に宣伝された官民パートナーシップの原則は、基本的に、汚職的な企みを合法化する様々な仕組みであり、その活動がロシア、米国、インド、西ヨーロッパのいずれで行われるかはまったく違いがない。
ある企業が国の支援なしでは運営できないのであれば、その企業は公共部門に移管されるべきである。
公共部門と民間部門の相互作用は、市場を通じてのみ行われるべきである。この点では、リバータリアンたちにも賛同できる:市場を求めているなら市場にしよう。しかし、企業が政府の支援なしでは運営できない、あるいは政府の支援なしでは社会的に有益な機能を果たせないのであれば、その企業は公共部門に移管されるべきである。
実際には、今日の公共の利害や客観的な環境・社会・その他の要求は、ビジネスに対する罰則という形をとっても、かなりの程度実現されている。公共部門は、利益の最大化ではなく、社会の問題解決を目指すべきだ。これは、公共部門が赤字になってもかまわないという意味ではないが、利益の追求と収益性の確保はまったく別物である。したがって、公共企業にとって、利益の獲得は最優先事項であってはならず、ましてや事業の成功の唯一の基準であってはならない。
デジタル時代には、誰もがアクセスできる透明性の高いインターネットプラットフォームの構築が必要であり、経済的な意思決定の分散化(脱中心化)によって、公共部門の活動形態やレベルが多様化することは明らかである。例えば、住宅・公共事業は、おそらく市町や地方自治体の手に委ねられることになるだろう。
ヨーロッパには、単に利益を追求するだけでなく、社会的な課題の解決にも取り組んできた国営企業の例がある。
ここで、過去数十年の西ヨーロッパの経験を思い出すように良い機会だ。オーストリアでは、地方自治体がいくつかの州で建設会社を設立し、その活動は、市場競争のメカニズムを通じて、住宅価格の下落につながった。また、1990年代に設立された有名なフィンランドの会社、「シトラ」も思い出すことができる。ベンチャー投資のための国営組織であり、利益を上げるだけでなく、地域での雇用創出、経済の技術水準の向上、女性の雇用確保などを推進するという課題も担っていた。20世紀後半における「シトラ」の印象深い成功は、フィンランドをヨーロッパにおける最先端の技術的地位へと押し上げた。
公共部門の管理
公共部門の管理は、従来の資本主義的管理形態とどのように異なるだろうか?まず、現代経済においてすでに存在する、最小限の階層構造と従業員の意思決定への積極的な参加を特徴とする、いわゆる「ターコイズ企業」の事例に言及する必要がある。しかし、民間セクターでは、ターコイズ企業は遅かれ早かれ、株主・所有者と従業員の利益の対立に直面する。公共セクターでは、この矛盾は解消されるだろう。ただし、そこから、新たな矛盾が生じないというわけではないことは言うまでもない。しかし、その矛盾の解決には、民主的な手続きが構築されなければならない。
業界会議は、民主的な統治の一形態である。
より高いレベルの民主的統治の一形態として、各業界の大会が挙げられる。そこでは専門家たちが既存の課題について共に議論し、国家に指針とすべき組織的・人事的な解決策を提案する。教師、農学者、技術者を集めるこのような業界大会は、1917年2月革命後にロシアで開催し始めたのだが、この慣行は発展しなかった。内戦下では、専門職の大会を開催することは容易ではなかったからである。現代においては、新たなレベルでこれに回帰することは十分に可能である。
当然ながら、企業や産業によって自治への準備度は異なる。さらに、明白な理由から、すべての問題がこのレベルで解決できるわけではない。民主的に選出された代表制権力の統制下で活動する中央集権的な計画・管理機関が、今日すでに大まかな輪郭が見えている開発の優先順位を確立することである。
優先事項
ここ数十年、国際会議では、地球を環境破滅から守る必要性を説く立派な文書が採択され、人間の命の尊さ、文化や教育の価値、そして人々がより人間らしく快適に暮らせる環境づくりについて語られてきた。しかし、残念ながら、我々を取り巻く現実は、これらとは明らかに矛盾している。
環境保護の取り組みは、利益の最大化につながらないため、市場経済とは相容れないものである。
問題は、あらゆる種類の環境的・人道的な要求が、あたかも上から市場・企業経済システムに押し付けられているかのように見え、その結果、そのシステムにとって外部的かつ異質な要因となってしまっている点にある。それらは経済活動に対して、様々な刺激やペナルティという形で外部から作用するはずであり、民間企業が客観的に従う全体的な論理、すなわち利益の最大化と資本の蓄積という論理には決して影響を及ぼしてはならない。
一方、根本的な意義を持つのは、まさに当初の目的設定、すなわちそれぞれの組織が何のために創設され、どのような基準に基づいて形成されるかという点である。ちなみに、まさにこの理由から、大学も軍隊も科学アカデミーも、たとえ多額の予算を擁し、資本主義の条件下で機能していても、ブルジョア化したとはいえ、完全にブルジョア的な機関にはならなかったのである。
民主的な計画立案においては、独自の優先順位を定め、それを実現するための体制を構築しなければならないのである。
民主的な計画策定は、独自の優先事項を策定するだけでなく、それに応じた適切な体制を構築しなければならない。ロシアの具体的な状況において、2000年代に採択された新しい森林法は壊滅的な結果をもたらし、林業を単なる商業部門へと変貌させた。同様に、ロシアや英国における鉄道の商業化と民営化もまた、悲惨な結果をもたらした。世界的な環境危機を背景に、森林の回復と植林は最も重要な課題となっている。ちなみに、ソビエト政権初期にこの分野で行われた多大な取り組みについても想起しておく価値がある 15/spichka:1924年、ソビエト連邦では最初の林業開発計画が策定されたが、本格的な森林再生が始まったのはその4年後だった。1928年から1937年にかけて、毎年10万~12万ヘクタールの森林が植林された。 。
開発の優先順位は、社会的、環境的、文化的な需要に基づいて設定されるべきである。
林業、運輸、エネルギー、科学、教育、これらすべての産業は経済成長に向けた強力な原動力となり得るのだが、それらに課される主な課題は、社会・環境・文化的なニーズに基づいて設定されるべきである。技術そのものも、開発者にとって何が優先事項であるかによって、さまざまな方向へと発展していく可能性がある。典型的な例として、1970年代に専門家たちがシベリアや極東向けの最適な貨物輸送手段として提案していた飛行船の事例が挙げられる。しかし、それらは当時の機械工学の潮流には合わず、最も多額の注文を出していた軍関係者からも関心を引かなかった。開発の将来性が明らかであったにもかかわらず、米国や英国における飛行船建造プロジェクトにも同様の運命が待ち受けていたことは、象徴的である。
国家の非経済的目標の実現こそは、経済成長の機会を生み出す。
その一方は、非経済的な目標が国家の政策の中心に据えられ、制度として確立されると、やがてそれ自体が経済を形作り、その成長に向けた新たな機会を生み出すようになった。例えば、大衆観光という産業は、労働者に対する有給休暇の全面的な導入によって生まれたが、当初、企業側はこれに激しく抵抗していた。
新たな優先事項を形成していく中で、我々は必然的に、今日とは異なる構造やルールを備えた新しい経済を形成することになるだろう。
新たな優先事項―新たな経済。
生活の「人間化」は同様に、社会経済の再構築の基盤となり得る重要な課題である。今日の都市を見れば、中産階級の生活上の快適性の向上が、都市においていかに心理的な問題や疎外感の増大と結びついているかがわかる。大都市や都市圏への人口と資源の集中が加速するにつれ、中小都市の衰退や、農村部における社会インフラの危機を招いている。もちろん、ジャン=ジャック・ルソーの思想に影響され、巨大な首都圏から住民を追放して単に消滅させることを決意したポル・ポトの経験を、誰も繰り返そうとはしないだろう。しかし、現代の過度な都市化もまた、長期的には私たちを、それに劣るディストピア的な未来へと導いているのである。

この課題への答えとなり得るのは、農村地域やその経済に密接に結びついた中小都市や「アグロタウン」の発展を目指す再都市化政策のみである。これには、文化、医療、交通、教育、さらには情報インフラへの相当な投資が必要となるが、将来的には、単に経済成長の新たな源泉が得られるだけでなく、はるかにバランスの取れた、そして何よりも人々の心に破壊的な影響を及ぼさない、新たな質の高い成長がもたらされるだろう。
開発の優先順位を決めることができるのは、社会そのものだけである。
新たな開発の優先課題を策定することは、戦略的な議論だけでなく、実践的なプロジェクトの実施にも関与する社会全体による取り組みでなければならない。いかなる「特効薬」も、上から押し付けられることはできず、またあってはならない。左派の責務は、自らの提案を練り上げ、イニシアチブを打ち出し、独自の議題を形成することで、それらを社会の多数派に「感染」させ、それらを「党派的な」ものやイデオロギー的なものではなく、共通のものにすることにある。まさにこれこそが、ヘゲモニーの困難な仕事である。
どれほど素晴らしいアイデアを提案しようとも、どれほど美しい未来像を描こうとも、現実の発展の見通しは、勢力比と、今日まだ我々のアイデアに対して極めて懐疑的な態度を取る人々や社会集団を、我々がどれほど自分たちの周りに結集させることができるかにかかっている。
多数派になるためには、まず多数派にとって「仲間」となることを学ばなければならないのである。
そのためには、まず第一に、ユートピアや遠い未来の幸福を約束するようなものではなく、今この場で機能する政治的な決断が必要なのである。
ユートピアではなく、展望
この記事を読まれた読者の皆様には、私の夢の限界が、発達した公共部門と強固な民主的制度を備えた混合経済にあるかのような印象を抱かれないことを切に願う。とはいえ、現状を踏まえるならば、それだけでも心強い前進ではあるのだろう。しかし、私は意図的に、現時点において十分に過激でありながら、現実的に実行可能で極めて具体的な変革について、簡潔に説明することに留めた。
逆説的なことに、誰かの目には限定的に見えるかもしれないこのようなプログラムの実施でさえ、数多くの問題や困難、障害、予期せぬ事態に直面することになるだろう。それらに取り組む過程で、私たちはプロジェクトの実現に近づくだけでなく、それを変容させ、おそらくはより急進的なものへと変えていくことになるだろう。
社会主義的プロジェクトが実行に移されれば、それは変化し、過激化していくだろう。
変革の目的は、あらかじめ策定された計画や硬直したイデオロギーに従って、すべてを一気に作り変えることにあるのではない。それどころか、変革の第一波は、社会の優先順位、ニーズ、可能性を変え、それによってその後の変化を指示する新たな発展の論理を起動させるべきである。そうすれば、マルクスの言葉を借りれば、社会的進化がもはや政治的革命を必要としなくなる時が来るだろう。この自然な論理は、必然的に私たちを市場関係や商品交換の枠組みの外へと導く。その狭い境界には、例えばほぼ無限の複製を可能にする新技術は、すでに収まりきらない。この場合、知識、プログラム、画像、あるいは技術を他者に譲渡しても、 私たちは、かつて他者に物を売った際にその物を失ったのとは異なり、自分自身のためにそれを失うことはない。知識経済は定義上、もはや商品経済ではなくなっている。
第一波の変革は、新たな発展の論理を始動させるはずである。
しかし、だからといって、ソ連式の行政・官僚的な計画経済への回帰が可能だということにはならない。たとえ誰かがそれを望んだとしても、 そこからまともな結果は得られないだろう。なぜなら、ソ連の集中管理体制の必然的な終焉を決定づけたのは、(教条的な共産主義者によると)「裏切り」や(教条的な反共リベラル派によると)経済の非効率性よりも、はるかに大きな割合でまさに新しい技術的時代への移行であった。知識経済には、自由な探求、柔軟な思考、そして官僚的・イデオロギー的な禁止令に怯えない自由な人々が求められる。
いくら望んだとしても、ソ連時代の経済を取り戻すことはできない。
未来へ向かう道筋において、ソ連の経験、その良い面も悪い面も、十分に考慮に入れる必要がある。具体的には、優先分野への前例のないほど効率的な資源集中によって達成された成果も、優先分野以外で同様の驚くべき浪費や資源の浪費を招いた失敗も、批判的に分析しなければならない。
今日、我々の経済的な考えのインスピレーションの最も重要な源泉は、依然として1960年代の改革派共産主義者たち、前述のオタ・シック、そして、ヴウォジミェシュ・ブルス、16/spichka:ヴウォジミェシュ・ブルス(1921–2007)は、ポーランドの経済学者、党活動家であった。1961年、彼は著書『社会主義経済の機能に関する一般的課題』を出版した。その中で彼は、社会主義への道筋において、民主主義と市場が必要であると主張した。
1968年、ブルスはポーランド労働党から除名された。1972年、彼はイギリスへ亡命し、そこでマルクス主義に関する著書を執筆し続け、自らの立場を主張し続けた。ブルスは、この矛盾の解決策を見出そうとした。社会主義への道には官僚制が必要だが、官僚制は社会に対する支配権を独占してしまう。では、どうすれば官僚制を克服できるのか?レジョー・ニェルシュ 17/spichka:レジョー・ニェルシュ(1923–2018)は、ハンガリーの経済学者、ハンガリー社会主義労働党の党員であった。
1960年から1962年まで財務大臣を務め、1962年からはハンガリー社会主義労働党中央委員会政治局候補委員および党経済委員会委員長を務めた。1966年からは政治局員となった。1968年、ニェルシュが主導した改革がハンガリーで始まり、指令型経済計画は廃止され、企業により多くの自主性が与えられた。1972年に改革は打ち切られ、1975年、ニェルシュは政治局から除名された。
レジェー・ニェルシュの主な著作:『経済政策と経済メカニズムの改革』(1968年)、『社会主義経済統合の理論的・実践的問題』(1969年)、『道の選択は改革』(1988年)。 などの思想やプロジェクトであり、まして彼らの先駆者であるオスカル・ランゲ18/spichka:オスカル・ランゲ(1904–1965)は、ポーランドの経済学者であり、1952年からポーランド人民共和国のセイム(議会)議員を務め、同年よりポーランド科学アカデミーの会員となった。1964年からは、ポーランド人民共和国国家評議会議長(すなわち共和国元首)の職務を代行する4人のうちの1人となった。
ランゲは、ソ連の指令型計画経済は誤りであり、社会主義を建設するためには国有財産を市場経済と融合させる必要があると考えていた。
ランゲの著作の一部はロシア語に翻訳され、ソ連で出版された。『再生産と蓄積の理論』(1963年)、『最適解』(1967年)、『経済的サイバネティクス入門』(1968年)。 やミハウ・カレツキ19/spichka:ミハウ・カレツキ(1899–1970)は、ポーランドの左派経済学者。
1935年、ミハウ・カレツキはポーランドを離れ、英国で働き、その後米国へ渡った。1955年にポーランド人民共和国へ帰国し、閣僚会議の経済顧問に就任、国家計画委員会で勤務した。1966年からはポーランド科学アカデミー会員となった。ミハウ・カレツキはマルクス主義政治経済学を発展させた。1970年、ソ連で彼の著作『社会主義経済の成長理論概説』が出版された。 同様に我々は、前述のアレクセイ・サフローノフの極めて重要な著書『大ソビエト経済』を読む際のように、ソ連における計画経済の失敗を検証することで、新たな刺激を見出し続けている20A.V. サフローノフ『大ソビエト経済。1917–1991』モスクワ・インディヴィデュウム出版社、2025。。
しかし、歴史が教えてくれる最大の教訓は、官僚的中央集権の弊害を理解することだけに留まらない。「コンピュータがすべてを計算してくれる」と期待するテクノクラート的なユートピアも、同様に袋小路に突き当たるだろう。
テクノクラティックなユートピアもまた、行き止まりの道。機械は、私たちの利害を私たちの代わりに定義することはできないからである。
最も賢い機械でさえ、私たちの利害を代弁することはできない。オタ・シックがすでに示したように、それらの利害はいずれにせよ矛盾するものであり、しばしばその矛盾は人々の間だけでなく、同じ一人の人間の心の中にも生じるのだ。絶え間ない多層的な利害の調整、利用可能な資源となるべく共通の優先事項を考慮した上での妥協点の模索、これこそが民主的計画の課題であり、それぞれのニーズ、欲望、好み、さらには考慮すべき恐怖さえも抱えた多くの人々による共同作業なのである。
機械は我々の労働を軽減し、それを喜びに変えることもできるが、責任や、周囲の世界を変革し改善する活動への欲求から我々を解放することはないだろう。ソ連時代の道化歌の一つが言うように「ロボットが一生懸命働き、人間は幸せ」というような未来は、まさに歴史の終わりであるだけでなく、社会の終わりをも意味するだろう。私たちが闘っている変革は、怠け者の共和国を築くことではなく、創造的かつ自由な活動において、人々の集団的および個人的な自己実現に最大限の可能性を与えるシステムを形成することを目指している。マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』で記したように、一人ひとりの自由な発展こそが、すべての人々の自由な発展の条件となるのである21K.マルクス、F.エンゲルス全集。— 第2版、全50巻。— モスクワ:国家政治文学出版社、1955年。— 第4巻。— 447ページ。。
これをユートピアと呼ぶ人もいるかもしれないのだが、我々はこれを展望と呼ぶ。
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